代表の松島です 

良心が痛む!そんな家づくりはしたくない!!!

代表松島

 山や木と共に育った少年時代

私が生まれ育ったところは、群馬県みどり市東町沢入(そうり)
渡良瀬川上流にあたる山間(やまあい)の田舎です。

代々受け継いできた山林を 少々所有していたわが家は、父が林業の仕事に従事し、
幼き頃のわたしは、父の仕事について行き 山々を飛び回る日々を過ごし、
小学生頃になると、少しずつ林業の手伝いをしていました。

その頃の林業は、まだまだ活気のある産業であって、
国産の木材は、大切に使われてていた時代でした。


 林業には必然的に!

植林した木を育てたり、大きくなった木を伐ったりして、
がむしゃらに働く父の背中は、とてもたくましく感じ、自分も将来の仕事は、
自然を相手にした、森や木を扱う仕事をしたいと思っていました。

また、私が育った家は、戦後まもなく建てられた家で、
地場の木材を数年かけて集めて乾燥し、骨太の大黒柱に真壁の塗り壁、
隙間風の吹き込む昔ながらの木造の家でしたが、愛着深い住まいでした。

「厳しくもあり美しくもある山、そして、木の温もりと木のやすらぎ」
きっとそれが私の原風景として心に刻まれていたのでしょう。

高校を卒業した私は、ためらいもなく林業の職に就きました。


 日本の木が使われない時代の波

林業に就いてから6~7年、時代の変化とライフスタイルに合わせて、
わが家のリフォーム工事が始まりました。

父が大工さんに「材木は杉と桧を使ってくれ」と頼んだところ、
大工さんが私にそっと 
「克幸君、今は外材の時代だよ!外材の方が世話ねーんだよ!」
と、つぶやきました。

日本の杉・桧に代わって、外国産の木材が既に家づくりの主役となっていました。

大工さんのそんな些細な言葉から、林業という職業に対する葛藤が生まれ、
徐々に林業への不安と失望が増す日々となってきました。

見放され始めた日本の木材価格は、時に下がり続ける一方となっていました。

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